写真のインフィニティ代表者プロフィール

櫻井慶志プロフィール

【無口な子供】   

 

昭和46(1971)年6月14日誕生!   

 

昔の都営住宅みたいな平屋建ての家   

 

両親・祖母・大祖母の大人4人に囲まれ育ちます   

 

2〜3歳の頃 ほとんど喋らなかったそうです   

 

両親は 自閉症を疑ったそうです   

 

でも 実際は自閉症ではありませんでした   

 

家族はホッとしたことでしょう   

 

大人4人いて何でもしてくれる環境が原因だったのです   

 

昭和52(1977)年幼稚園卒園前に東久留米市に引っ越してきます   

 

わたしは幼稚園を卒園していないのです(笑)   

 

 

【右も左も分からない】   

 

よく    

 

ものごとが分からないことを   

 

「右も左も分からない」といいます   

 

わたしは本当に分からなかったのです!!   

 

 

小学校3年生ごろまで    

 

どちらが右でどちらが左かが分かりませんでした   

 

視力検査では見えていても答えられなかったのです   

 

目が悪いと思われていました   

 

 

左右がわかってから再度検査したら 右も左も1.2ありました   

 

全然悪くなかったのです   

 

眼鏡をかけ始めたのは小学5年生から   

 

このときは 左右は分かっていました(笑)   

 

横になってテレビや漫画を見ていたからですね   

 

 

 

【無趣味な子供】   

 

小学生の頃は    

 

2年生から書道   

 

3年生から公文式とボーイスカウト   

 

やってました   

 

いっぽうで趣味や打ち込めるものは何もありませんでした   

 

ばあちゃんが切手コレクションを見せてくれました   

 

「ふーん」という感じでした   

 

心惹かれるものではありませんでした   

 

絵本部や卓球部に入ってもとくに印象に残るようなことはなかったです   

 

文集に将来の夢は「サラリーマン」と書いていました   

 

なんだかなぁ〜   

 

親父が酔っぱらって帰ってきたのを見て 「こうはなりたくないな」と子供心に思いました   

 

 

 

【写真と出会う】   

 

中学生の時 友人と一緒に写真部に入りまでした   

 

中学で写真部に入るまで写真にまったく興味はなかったです   

 

それが写真部に入部したことで変わりました   

 

当時、カメラメーカに勤務していた父からカメラをもらいました   

 

休日は父と一緒に鉄道撮影をするようになりました   

 

 

「写真がもっと上手くなりたい」   

 

「父に褒められたい」   

 

 

そんな一心で写真の本を読み漁りました   

 

人生ではじめて本気になりました   

 

この時に学んだことが知識のベースです   

 

 

 

写真部に入部したことで同学年の友達ができました    

 

昼休みに野球や鬼ごっこをしました   

 

文化祭の前は作品制作などで20時頃まで学校にいました     

 

友人たちと一緒だったので楽しかったです   

 

とても楽しく中学時代を過ごせました   

 

友人たちとは今でも付き合いがあり  

 

長期休暇の時は一緒に飲んでいます   

 

一人の友人との出会い   

 

それが人生全て変えたと言っても過言ではないです   

 

人は1つの出会いで変わるを実感しました   

 

 

 

【天性の恥ずかしがり屋】   

 

人前に出ることが大の苦手   

 

なんたって小学生の時  

 

好きな子との日直が恥ずかしくて仮病で休みました   

 

そんな私に体育館で発表という一大事が!!   

 

学年何百人の前で自分の意見を言うというものです   

 

 

「どうか当たらないように   」   

 

 

心の中で必死に祈っていましたが   

 

思い届かず当たってしまいました。。。   

 

その瞬間から全身の血が頭に上って   

 

皆の前に出た時は   

 

もう、ゆでだこ状態でした(笑)

 

いまだに何を言ったのか全く思い出せないですが 

 

その時の状態はハッキリと記憶しています   

 

 

 

【いじめから始まった高校生活】   

 

楽しい中学生活から一転   

 

高校生活は毎日が地獄   

 

言葉によるいじめでした   

 

相手は同じ中学から来た人   

 

それに周囲も乗じてくる   

 

 

「早く夏休みにならないか」と思いました      

 

いじめっ子に会わなくて済むからです   

 

 

担任や両親には黙っていました   

 

そういう考えが浮かびませんでした   

 

本気で自殺を考えました   

 

しかし 実行しませんでした   

 

 

両親や祖母が悲しむ姿が想像できたからです   

 

いじめられた経験を通して得たことは    

 

この時の辛さを思えば他のことは何てことない

 

と思えるようになったことです   

 

いまは自分を成長に不可欠だったと思います   

 

卒業後は大学に進学しました   

 

 

 

【写真部に入ろうとしたが】   

 

大学入学   

 

写真部に入ろうと思っていました   

 

 

「今日こそは」「今日こそは」と思い続けたある日   

 

 

「今日こそは入るぞ!!」   

 

 

と気合を入れ部室に向かう途中で見てしまったのです。。。   

 

 

グランドで絶叫していたのです   

 

 

何だこれは!   

 

入部したらこんなことをさせられるのか!   

 

 

その光景にすっかりビビってしまいました   
(2年後に入部した時 自己紹介の練習だとわかるのですが)   

 

天性の恥ずかしがり屋もあって 写真部に入ることを断念   

 

写真部に入り損ねた結果   

 

大学に居場所がありませんでした   

 

あの広いキャンパスに話し相手がいないのです   

 

大学に行っても授業に出ず食事だけで帰ってくる   

 

食事は安いので食事だけ食べたのです   

 

そのうち   

 

大学に行かずに地元のゲーセンで過ごすことが多くなる   

 

ゲーセンに入り浸ってバイトで貯めた貯金を全部使ってしまう   

 

 

翌年3月   

 

進級発表の掲示板を見た瞬間   

 

 

・・・   

 

 

茫然自失   

 

進級へのわずかな期待も打ち砕かれ   

 

 

「留年」  

 

 

頭が真っ白になりました   

 

母親に嫌な顔をされ    

 

友人には恥ずかしさからなかなか言えませんでした   

 

 

 

【写真部入部】   

 

大学中退も考えた2度目の1年生   

 

ぎりぎりセーフで2年生に進級   

 

晴れて写真部に入部しました   

 

同期で鉄道好きの友人も出来ました   

 

居場所が出来たことが何より嬉しかったです   

 

ノートの貸し借りなどもしました   

 

先輩 後輩とも良い関係を維持できたと思っています   

 

合宿 学園祭 総会など大変なことも良い思い出です   

 

 

 

【大学で2度目の留年】   

 

4年生になると就職活動がはじまりました   

 

好景気な中での就職活動を期待していました   

 

ところが   

 

世はバブル崩壊   

 

そう わたしは就職氷河期1期生(笑)   

 

履歴書は最初と最後をしっかり揃え 締めのハンコもまっすぐに   

 

間違えないよう全神経を注ぎました   

 

最も悩んだものは「志望動機」   

 

心にもない志望動機を考えることは苦痛でした   

 

面接のために付け焼刃な志望動機を何度も暗記しました   

 

ネクタイも首が締め付けられ嫌でした   
(単に太っていたからかww)   

 

そんなわたしは 就職課には行きませんでした   

 

いっぽう 就職課に足しげく通っていた写真部の同期は大手カメラ店に就職   

 

わたしはと言えば    

 

手あたり次第に面接を受けるも天性の恥ずかしがり気質もあって全滅   

 

あっという間に3月   

 

そのまま卒業しようと思っていたところ    

 

通っていた就職塾から「学生の方が活動しやすい」と説得され留年   

 

 

 

【写真漬けの日々】   

 

就職のために留年しました   

 

しかし 留年中も就職活動はまったくせず写真撮影ばかりしていました   

 

ブルートレインを撮影するために 午前2時に起きて車で出掛ける   

 

朝日を浴びる列車を撮影するために始発列車に乗って 駅で暖をとる   

 

こんなことばかりしていました   

 

就職活動をまったくしないまま年を越し3月に   

 

気が付くと卒業まで1か月   

 

母親に言われ 気が向かないまま三鷹の職安に行きました   

 

 

 

【1週間で退職】   

 

母親に言われるままに三鷹の職安に行きました   

 

そこで見つけた写真屋に面接に行きました   

 

「写真が好き」なのでどうせなら写真の仕事をしたかったからです   

 

地図を見ながら行き スーパーの前にある店を見た時    

 

 

えっ!ここなの!?   

 

 

強いショックを感じました   

 

それでも 必死になって考えた付け焼刃な志望動機を言って入社決定   

 

卒業間近の3月に就職が決まりました   

 

 

入社すると   

 

 

早朝出勤して幼稚園に撮影へ   

 

スタジオで証明写真を撮影   

 

店頭でクレーム対応する      

 

 

自分が考えていたものとは違う気がしました   

 

入社後 1週間でやめました   

 

 

 

【結局 写真】   

 

最初の写真屋を1週間で退社   

 

学生時代のアルバイト先に戻った後   

 

駅中写真屋 レッカー移動など   

 

アルバイトをするものの   

 

人間関係や仕事内容のハードさに   

 

2,3日で辞めてしまうの繰り返し   

 

またしても職安通い   

 

 

「写真が好き」
という気持ちだけは一貫していました   

 

 

そんな中    

 

池袋の職安で見つけたのはまたしても写真関係   

 

写真は好きでも 人と接するのが苦手なわたし   

 

今度の会社は学校の音楽祭などを撮影する中小企業   

 

撮影した写真の仕分けなどをするアルバイト   

 

これなら自分にも出来そう   

 

平成12(2000)年10月からアルバイトをはじめました   

 

 

 

【正社員へ】   

 

「何でもしなさい」   

 

そう母に言われたのでアルバイト中は残業もいとわずしました   

 

アルバイトのなかには 定時で帰ってしまう人もいました   

 

わたしは最後まで会社にいました   

 

社員と一緒に夜食を食べたのもいい思い出です(笑)   

 

アルバイトも平成13(2001)年2月で終了   

 

また 就活の日々に戻りました   

 

3月に入ると 2月までいたアルバイト先から連絡   

 

女性社員が1人 妊娠してやめる   

 

その後に 社員として入って欲しいということでした   

 

アルバイト中の働きが評価されたと感じうれしかったです   

 

平成13(2001)年4月から正社員として働きはじめました   

 

会社に入って分かったことは   

 

表面的には仲良く見えても   

 

実態は   

 

「社長は社員が悪いと思い 

 

社員は社長が悪いと思っている」会社でした   

 

よく社長と社員で怒鳴り合いをしていました   

 

普段から社長は煙たがられ   

 

社員旅行でも社長はいつも1人でした   

 

 

 

【写植担当】   

 

会社でのわたしの仕事は写植担当   

 

遠足などの学校行事の集合写真   

 

写真の下に文字が入っているのを見たことがあると思います   

 

わたしは その発注〜現像所に送るまでの担当でした   

 

この仕事では強烈なストレスを感じました   

 

思い通りに動かない写植屋に胃がキリキリしたのです   

 

他人を思い通りに動かそうとしすぎたのかもしれませんね   

 

しょせん 他人は関心の輪です   

 

 

 

【写真好きは黙っていました】   

 

会社には 正社員のカメラマンも9人ほどいました   

 

中判カメラにも触らせてもらいました   

 

しかし 写真が好きだということは黙っていました   

 

写真を仕事にすると嫌いになると信じていたからです   

 

会社の仕事は 音楽祭に合わせて入ります   

 

7月〜翌年2月ごろまでがとても忙しかったです   

 

繁忙期 夏休みはなく 休みは週1   

 

忙しい時は22時ごろまで働きました   

 

 

社員になって   

 

アルバイトに仕事を割り振ることもはじめてしました   

 

「アルバイトは言われたことをやっていればいい   

 

社員は給料以上のことをしてはじめて給料をもらえる」   

 

そう思いました   

 

 

 

【給料以外の収入が欲しい】   

 

自分で言うのも何ですが   

 

わたしは根が優しすぎます(笑)   

 

友達を呼び捨てにすることも出来ません   

 

人に強く言うなどなおさら出来ません   

 

ですから 写植屋に対しても   

 

 

「早く持ってこい(怒)」   

 

 

なんて言えません   

 

そんな私に対しイライラしたのでしょう   

 

社員全員が参加していた会議の場で    

 

社長から「お前 ○○ついているのか!」と言われました   

 

これはいまでも覚えています   

 

当時 収入が給料だけだった私   

 

「クビだ!」と言われるのが怖くて言い返せませんでした   

 

 

「給料以外に収入があれば言い返せる。クビも怖くない」

 

 

給料以外の収入が欲しいと思うきっかけでした   

 

 

 

【会社を辞める】   

 

変な話ですが   

 

わたしは入社当初から転職準備をしていました   

 

求職活動中のお金を貯金していたのです   

 

当時 IT系に興味があった私   

 

正社員2年目の平成14(2002)年6月   

 

池袋にあったIT系の学校に通いはじめました   

 

資格をとってIT企業への就職を目指したのです   

 

費用は入社当初から貯めていたお金で支払いました   

 

たしか60万だったと思います   

 

会社は仕事が忙しくなる前の7月に退職しました   

 

正社員として2年4か月   

 

アルバイト期間を入れれば2年9か月   

 

お世話になりました   

 

わたしは 写植担当でした   

 

電話での修正指示以外でお客様と直接接することはなかったです   

 

しかし    

 

「自分にとっては数多い仕事の1つでもお客様にとってはすべて」   

 

ということを学びました   

 

 

 

【ITやーめた!】   

 

時間とお金    

 

そして会社を辞めてまで取得したIT系の資格   

 

派遣企業に登録   

 

担当者と一緒にやる気満々な履歴書も書き   

 

 

ネットワークエンジニア   

 

 

として働く準備を整え   

 

 

意気揚々   

 

 

IT企業に面接に行きました   

 

 

ところが   

 

 

「しょせん派遣だから」と思っているのか   

 

派遣先企業に面接時間に行っても   

 

担当者が来ない 心無いことをいわれる   

 

など理不尽な対応が続きました   

 

そして 

 

あるIT企業に行った時のこと   

 

自分より年下の面接官が横柄な態度をとりました   

 

その態度に腹が立ちました   

 

以後 IT企業への就職活動をやめました   

 

いまではその時取った資格の名前さえ忘れました(笑)

 

 

 

【アフィリエイトとの出会い】   

 

IT企業への就職をやめました   

 

会社員時代に貯金が底を突きました   

 

32歳   

 

たいした職歴もなく 正社員など無理   

 

そんな時 神王リョウと名乗る人のホームページを見ました   

 

そこでアフィリエイトという言葉を知りました   

 

「これなら自分にもできそう」   

 

わたしは 「Webノウハウ」という本を購入   

 

2万円でした   

 

当時は並行して日払いアルバイトもしていました   

 

通勤時間などボロボロになるまで読みました   

 

同時にホームページビルダーを購入    

 

ホームページ作成に取り組み始めます   

 

 

HTML言語など何も分からない状態からスタート   

 


って何?」   

 

そんな状態からHTML言語を独学で1つずつ学びました   

 

 

毎日四苦八苦しながらホームページを作成   

 

半年ほどかかってホームページが完成しました   

 

「Railway Photograph」という名にしました   

 

鉄道写真が好きなのでその撮り方などを紹介しています   

 

その後 このHPは 「登録されるのが奇跡」   

 

と言われるYahoo!に登録され現在に至っています   

 

 

 

【借金100万】   

 

日払いバイトは1年ほどでやめました   

 

毎回行き先が違う仕事もきついからです   

 

時給に交通費も含まれているため割も良くなかったです   

 

お金がない状態でした   

 

そこに出会い系サイトの案内   

 

気が付くとハマっていました   

 

「お金が欲しい」   

 

「女性と会いたい」   

 

そんな思いに負け借金を借金で返す状態に   

 

これ以上 借金できなくなるとこるまで借りました   

 

借りた金額は総計で100万円以上   

 

母に建て替えてもらう羽目に   

 

 

 

【ネットで稼ぐも】   

 

出会い系サイトをやめた後   

 

ホームページ作成ソフトでホームページを量産   

 

リンク集登録ソフトも購入し 毎日登録   

 

その結果 平成18年2月頃にはグーグルアドセンスだけで1か月で40万円以上稼ぎました   

 

ネット収入のピークはここ   

 

そこから一気にジェットコースターのように急降下   

 

翌月は23万   

 

以降 順調(笑)に下降線をたどる   

 

わたしは何とか回復させようと   

 

文章作成をライターに依頼したり ホームページの管理を委託したりしました   

 

結果は重力には逆らえません   

 

いずれも 効果はなく いまでは月1万も行けばよいレベルです   

 

頂上は針先のように小さく その横はすぐに谷底でした   

 

 

 

【祖母が亡くなる】   

 

平成18年1月に母方の祖母が 亡くなりました   

 

99歳9か月でした   

 

9人の子供を産み 11人を育てた人でした   

 

わたしにはとても優しい祖母でした   

 

亡くなって2年ほどは亡くなったことが信じられませんでした   

 

 

平成23年5月に父方の祖母がなくなりました   

 

94歳   

 

父方の祖母は生まれてからずっと同居   

 

共働きの両親に代わりにわたしを育ててくれた人でした   

 

最後の16年間は介護施設で過ごし    

 

自分の息子の名前も分かりませんでした   

 

かろうじて私の名前がわかる状態でした   

 

それでも1人の大切な家族を失ってしまいました   

 

 

 

【個人事業主となる】   

 

平成26年5月14日税務署に個人事業の開業届を提出   

 

晴れて個人事業主となりました   

 

届け出たことで意識が変わりました   

 

経営者という意識が生まれました   

 

そして 納税義務も生じました   

 

 

 

【スカイダイビング】   

 

平成27年1月 空から飛び降りました   

 

上空3800m

 

富士山とほぼ同じ高さから   

 

飛び降りるまでは怖かったです   

 

いったん飛び降りてしまうと   

 

 

「気持ちいい!!!ーーー」   

 

 

遠くに高層ビル群が見え 川は蛇行していました   

 

ダンプカーや建物が小さく見えました   

 

ちっぽけなことに構っていてもしょうがないと思った反面 

 

小さなこともきちんと作り込む必要があると思いました   

 

いい経験が出来ました   

 

 

 

【9ステップ】   

 

平成27(2015)年2月「成功の9ステップセミナー」に参加   

 

4日間鴨川のホテルで缶詰めになりました   

 

午前9時開始 午前3時に終わるセミナー   

 

ダンス 火渡り 板割り 原始人ダイエット   

 

そして ミッションインストール   

 

本気で自分の限界に挑み涙したことは一生忘れません   

 

これを受けると他のセミナーは実に味気ないものに思えます   

 

そして 

 

出会いがありました   

 

花井知恵さんという女性です   

 

この方と出会ったことで   

 

「自分が本当にしたかったこと」に  

 

気づきました   

 

 

 

【アクセスバーズ】   

 

平成27(2015)年7月〜9月   

 

花井知恵さんのアクセスバーズを受けました   

 

アクセスバーズとは   

 

自分を制限する思い込みなどを解放していく技術   

 

アクセスバーズを受ける前は 自分に制限をかけていました   

 

 

「写真撮影を仕事にしたら写真が嫌いになってしまう」   

 

 

と思っていました   

 

だから 意識的に避けてきました   

 

 

アクセスバーズを受けた後は 自分に正直に   

 

 

「自分が本当にやりたかったこと」に   

 

 

気づきそれを職業にしようと思いました   

 

 

「写真撮影を仕事にしたら写真が嫌いになってしまう」   

 

 

これが自分で自分にブレーキをかけていたのです   

 

 

 

【父の認知症が進行】   

 

父は以前から認知症でした   

 

しかし それほど酷さは感じませんでした   

 

ところが 平成28年GW前後から急激に症状が進行   

 

 

母のお金を盗んでもまったく自覚ゼロ   

 

すぐ怒る   

 

暴れる   

 

同じことを何度も聞き返す   

 

など   

 

 

一時は告げ口にわたしの所に来て   

 

その度に仕事を中断されたりしたので   

 

気が気ではありませんでしたw   

 

 

その後 薬によって症状は改善されています   

 

 

かかりつけ医の診断書などに基づき   

 

 

「要支援2」   

 

 

と判定   

 

 

毎日、パズルをしながら   

 

 

デイケア先を見つける段階です   

 

 

 

【愛情フォトグラファーとして】   

 

平成28年1月   

 

facebookに天堤太朗氏の1DAY講座が紹介   

 

 

カメラマンとして「稼ぎたい」と思っていた私   

 

 

「稼げる」というフレーズに激しく反応   

 

 

人物撮影テクニックなどを教えていただきました   

 

 

一気に人物撮影の虜になりました   

 

 

 

【わたしのミッション】   

 

今後は 天堤氏より伝授されたことに   

 

 

「愛情フォトグラファー」   

 

 

として愛を注ぎ    

 

 

多くの人の笑顔を残していきます   

 

 

それが   

 

 

わたしのミッション   

 

「世界をハッピーオーラで包むこと
〜笑顔だから幸せになれる」   

 

 

だからです   

 

 

 

【座右の銘】   

 

「人との出会いで人生変わる」   

 

「人は人でしか変わらない」   

 

「考えるより行動」   

 

 

 

【好きな言葉】   

 

天上天下唯我独尊(釈迦が生まれてすぐに立ち上がって言った言葉。「わたしはこの世に唯一の存在です」という意味)

高1での「いじめ」の体験

高校1年の時、いじめにあいました。
とても、辛い体験で後遺症も残しました。

 

本当に毎日が地獄でした。
いつでも、あげ足をとられるのではないかと神経をピリピリさせていました。

 

身体的ないじめではなく、言葉によるいじめでした。
「夏休みが永遠に続いて欲しい」と心から思いました。
夏休みが続く限り学校に行く必要がない=いじめから逃れられるからです。
「自殺=死ぬこと」も生まれて初めて本気で考えたのも、この時です。

 

いまでは、

 

・いじめられる人の気持ちがわかったこと。

 

・いじめのことを思えば他のことは何ということはない。

 

と考えられるようになりました。

わたしのミッション

1.日本人の若者が無料で学べる学校を作る
2.他人の成功を手伝い喜んであげられる